[update:19.OCT.06]
 Newface



「我流改め、カッコイイ滑り!」



…時は流れに流れて2006年。

『ちょっと気弱な、ふっ〜うの会社員だったの』と語るmikiははさんは、

ついにトムテデビューとあいなった。

数多くのゲレンデを制し、ついにはトムテな面々とふれあうことで

真夏のゲレンデに通うまでに…

今風のカッコイイ〜滑り?!を目指すため

強く生まれ変わった彼女だが

休憩の時もカッコイイ〜

と言われるのが目標なのだろうか?

(b^-゜)





mikiはは





 ★ トムテへの道 ★ 



 スキーとの出会い、それは今はもうない(らしい)鶏頂山スキー場。スポーツ好きの叔父が小学5年生くらいだった私を連れて行ってくれたのだった。 2度目は高校の修学旅行で蔵王へ。印象深いのはロープトウとSnow Monster。それからスキーの上手な男の人はゲレンデでカッコ良く見えることがわかった。昼食時に別人が・・言い過ぎ!?

・・時は流れ、いつからなんでしょう、こんなに毎週スキーに行くようになったのは。初めての八方で名木山の壁を見上げ「ムリ」と言ったら「スクール入れば?」と言われたのも印象深い。スキーはロマンスじゃあないのね。 白樺湖周辺のスキー場で滑っていい気になりかけた私に、スキー場とはそんなもんじゃあない、と教えてくれたのは志賀高原スキー場だった。 スパルタ?な案内人は私がひいひい言いながら追いつくと「よし、次、高天、寺子屋、西館、etc…」と当時の私にはわからない呪文を出発の合図にドンドン先に行ってしまう。 でもスピードをあげて滑っているその時、なにかが弾け、滑るのは楽しい!と感じたのだった。 それからますます毎週スキー。目的地も遠くなった。トーゼン北海道にも足を延ばした。ニセコは昼も夜も素晴らしい。びっくりするほど楽しくて熱が出るほど滑った。 今はオーストラリア人の間でブームになっているそうで、フシギ外国風。フレンドリーなオージーが臨席でカニラーメンを食べていたりします。

・・再び時は流れ子供が生まれた。出産後スキーへの再デビューは子供が6ヶ月の時。子供はスキー場の託児所にデビューね。 2才になると預けられるのをイヤがりだしたのでウエアを着せ、外で遊ばせることに。 ソリはあまり好きではなかったようだが、リフトに乗るのが大好きで、雪が降っていても乗ると言う(無理にじゃありません!)スキー板をはいたのは3才。八方のスカイラインで滑った。何度見てもかわいい姿のビデオが残っている(^^)

・・さて時はどんどん流れる。 ふと気がついたら娘は私たちより早く、上手に滑っていたのだ。長距離のゲレンデだとマジにおいていかれる・・だって、足が・息が・続かないんだも〜ん。 試しに出てみたレースも楽しいと言う。 ここに至り私たちは、娘が"自分は上手い"などと自己満足してしまう前に、楽しく競える仲間、良い指導者に会わせたい、と考えたのでした。

トムテとの出会いはHP。何度か会長とメールのやりとりの後、2月の車山に参加することになった。 それにしても実力も求心力もおありの会長だけでなく、役者揃いのメンバーらしい。 スキー上級者なだけでなく、楽器の演奏、はては変装までするとの情報も…。 娘はスキーその他に非凡なところを見せているものの、私はフツーの会社員である。ちょっと気弱。。だったはずが、初参加の2月以降今日に至るまで、さして時は流れていないのに何度トムテなイベントに参加したことでしょう。それは楽しいから! 新たな出会いも発見もたくさんありました。 トムテキッズはみな良い子だし、小麦粉も食べたし、クレイジージョッキも経験した。月山にも登った。5月のかぐらで知り合いに見られる、なんてことは今までなかったわ(今度は声かけてくださいね〜)。

当初、娘の為に探したクラブとはいえ、入ってしまえば彼女は彼女の道を行くわけで、残された私は見ていてもなにも始まらない。。ここは我流一筋○○年を改め、今風のカッコイイ滑りを身に付けようじゃあないの、と、インライン、サマースキーを含めトライ&エラーを続けている次第。 "好きこそものの上手なれ"で、やがて始まる雪上では「そうそう!」と言われる場面を増やすことを目標に、がんばってまいりますので、これからもよろしくお願いいたします。

mikiはは



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