[update:11.APR.06]
 Newface



「浦島太郎の玉手箱はパンドラの箱」



導かれるままにスキーへの情熱を完全復活 !

かずかずの偶然がかさなり、ついに掴んだ夢への招待状。

家族の絆というシュプールは心地よいハーモニーを奏で創めたようです。





リーパパ





トムテへの道




大学時代はスキーに情熱をかけていた私も、社会人・結婚・子育てと、知らず知らずスキーから遠ざかり、おまけにカービングへと変化。体重も+○○kg増えて情熱を無くしかけていた、そんな頃…。

2004年春、娘の小学校入学式。1年生の教室でバーバリーのワンピースに身を包んだかわいい女の子が娘の名前を呼んでいた。「娘の友達なんだ」と、側に立っていたママに挨拶。そう!この人こそ、後に知ることになるトムテ会長だったのです。
その後スキークラブの話を聞き、クローゼットにしまってあった用具を見てビックリ!板はロシニョ−ル7G 206cm。靴はフォーミングして1度も履かなかったサンマルコ。ウェアはフェニックスのノルウェーチームモデル。デモパンにデモスパッツ。ビデオはスキーNOW93。佐藤 正人の基礎スキーの本。海和モデルのフリース。浦島太郎状態…?!

そして、トムテ初参加となるクリスマスキャンプ。講習に参加していた妻が驚いた顔で私に言った。「アツ○コーチ、大学のサークルの人」。そう、アツ○コーチとショー○コーチは妻と大学時代同じサークル。どうやら初めてスキーを教えてもらったのがショー○コーチだったようで、それが今は娘を指導してくれていた。感慨深いものを感じた瞬間だった。それにしてもよく十数年前のサークルのことを覚えていたな〜。家に帰ってアルバムを見ると確かに写っている。恐るべき偶然!
 他にも驚きの連続。昔あれほど海和さんのビデオを見て練習した外向傾。Nコーチから
「それはスキッティング要素になるから」と言われた。スキッティングって何?「それではレールターンをしましょう」。レールターン??やっぱり私は完全に浦島太郎となっていました。

トムテは私のパンドラの箱、スキーへの情熱を完全復活させてくれました。また、妻と娘もスキーが楽しいと言います。家族で共通の趣味ができたこと、そんな環境をつくってくれたトムテに心から感謝しています。恵まれた環境の中、もっとスキーが上手くなりたい。スキーの技術も私の体重も変わってしまい、また最初から始めるつもりです。
家族共々どうぞよろしくお願いします。
 
長く間、誘いもなくなっていたスキー友達から連絡がきました。
「スキー行かない?何年ぶりだろうね〜。また一緒に滑れるとは思わなかったよ。」
 またスキーができるようになって超〜うれしい!!









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