[update:25.Jun.02]
 Newface



『師匠を探してトムテへ』



「僕って なんかスキーの才能あるのかもっ!」と思ったのが、
スキー馬鹿の第一歩。。。学生時代の厳しいスキークラブから、
ゲレンデスキーヤーに転身?するも約10年ぶりに基礎スキーヤー人生が復活!!
そして、インターネットで師匠を探してトムテへやってきたナンさんは、
2002シーズンにはテクもGET!!とノリにノッてます。
次なる目標は技選やクラウン受験なのだ〜





ナンさん





スキーとの出会い

 私がスキーとであったのは高校2年生の12月、学校のスキー教室なるものに興味本位で参加したのが出会いでした。場所は志賀高原 一の瀬、とにかく最初の2日間は止まる事も曲がることもできず、転びっぱなし!ところが3日目に何かコツを掴んだのか、曲がる・止まる・しかもシュテムターンもどきマデ発展。一の瀬を上部からいっきにおりることができ、「僕って なんかスキーの才能あるのかもっ!」と間違いを犯してしまったのが、スキー馬鹿の始まりでした。
 その後大学(俗に飯田橋体育専門学校などと呼ばれている)進学後もスキー熱は冷めず、スキーサークルでの楽しい出会いとスキーイングを夢見てクラブ探しを始めました。そして、つい綺麗なおねえさんが勧誘しているクラブにいとも簡単に入ってしまいました。わたくし、そのとき綺麗なおねえさんの横に立派なでかい部旗と優勝カップが並べられている意味をよくわかってなかったのです。そこはサークル間でも有名な厳しいクラブ「学生団体連盟所属 雷鳥スキークラブ」だったのです。
 僕の「なんかスキーの才能あるかもっ」という間違いは、5月の新入生歓迎合宿in月山であえなく飛んでいってしまいました。先輩から見ればわたくしなんぞ初心者でした。一年生のときは徹底して基本操作、斜滑降、プルークの繰り返しでした。スキーシーズンは、まさに、合宿と大会の連続で3月の全国岩岳学生スキー大会が締めくくりになります。1年生の3月に無事2級を取得。2年生の3月で1級 その後 SAJ志賀高原スキースクールで合宿と大会の合間をアシスタントとして過ごしたもんです。とにかくこのころがもっとも滑りこんだ時期だったでしょうかね。またこの時期全日本の技選に、渡辺一樹、我満嘉治選手が学連から鮮烈デビューしたころです。また「私をスキーに連れてって」がヒットし、スキーブーム全盛であったのもこのころでした。


スキークラブ

 大学卒業後は、めっきりスキーに行けなくなりました。クラブの仲間も仕事と家庭をもったりしてどんどんスキーから離れていってしまいました。わたくしすっかりただのゲレンデスキーヤーになってしまいました。「スキーNOW」(知らない世代の方も多いのでは)で同年代の一樹さん、我満さんのトップスキーヤーとしての活躍をみては、「君ももう一度ちゃんとスキーやったらどうだ」「君の学生スキーヤーとしての証はなんだ」「まだ真っ白な灰になるまでスキーに対する情熱は燃え尽きてないいだろう」と青春ナンさんが、サラリーマンナンさんを叱責続けること数年!
 平成9年春、ついにこころの奥底にあった虫君が動き出しました。 せめて「準指ぐらいはもってないと大学でスキークラブはいってましたって言えないよな〜!」「最新のスキーテクニックは知っとかないとやばくない?!」と。決めたらせっかちなわたくし、知り合いの神奈川県のクラブに即入会、即準指受験申し込み。準指ゲット。そして約10年ぶりに基礎スキーヤー人生復活。
 ただそのクラブは、各自が勝手に切磋琢磨して資格なり、技選を目指すクラブなので、教えてくれる人もいませんでした。唯一できたのは当時クラブに全日本神奈川代表選手が2人いたので、技戦の練習風景を「巨人の星」の明子姉さんのようにリフトの支柱の陰から見守るようにみること、宿で話しを聞くぐらいでした。でも要は「言ってることはわかるんだけど、できないんだよな〜!」「やはりコーチにつかないと、ここから上のレベルをめざすのは困難極まりない!」と実感したのでした。いわゆる伸び悩みっていうやつですかね、しかもカービングスキーが普及しはじめ、スキーテクニックの急速な変革期でもありました「早急にコーチを!良き師匠を探さねば!」


トムテとの出会い

 師匠探しは、インターネット ポイントは東京都連、基礎スキーに力をいれてる。しっかりしたクラブ運営がなされてる。上手い人がいる。それとこれがネック、SAJ専門委員もしくは、ブロック技術員がいる(つまりSAJの技術情報がクラブにフィードバックされるかです)。だって伝言ゲームみたいにねじ曲がった情報もらったら困りますもんね。極端なはなし、「カービングテクニック」が「チャーミングテクニック」なんて伝わってクラブ員全員、スマイルの練習かなんかしちゃってたら気色悪いですもんね!
 とにかく条件に合うクラブはおのずと絞られ見つけたクラブがトムテの前身クラブ。しかも、会長が現役専門委員で、ブロック技術員。しかも都技選上位入賞経験者で女性。
 「なんかすごそう」わたしの頭の中には勝手にポニーテールにピアスにサングラスでキメ颯爽と急斜面のアイスバーンを小回りで降りてくる会長像を無断で作ってしまったのでした。しかも指導も厳しそう「ふふふ、あなたの滑りかなり古いわね!今はね○×△〜!」(指導キャライメージ)。
 で参加したのが、3シーズン前の正月熊の湯。実際にお会いした会長は、想像どおり指導は厳しそうでしたがキャラ的には「ぷぷぷっ!○さん なに今の小回り?だっさーっ!」(指導キャライメージ)(あくまでもイメージです)。ビジターのわたくしにも親切丁寧にしていただき、トムテ発足を機についにお仲間に入れていただいて今日にいたるわけですが。正直いってトムテ前身時代からおせわになりホント自分の滑りが変わった(自分で言うのもなんですが上手くなった?)と思います。ほんともっと前から出会っておけばと思うばかりです。テクニカルもトムテでのテルコーチの指導があればこそゲットできたと思ってます。


今後の目標

 とにかくいい年こいて上手くなりたいので、日々努力するしかないとおもってます。その評価の場として技選やクラウン受験を考えてます。幸い先々シーズンに無事正指もゲットしてしまったので、精神的につらいお受験はもうなく、今おもいっきりスキーが楽しいですし、また、それを共有できるクラブ員の方たちがいることが、楽しさを倍にしてくれてます。そしてわたくしも指導者の端くれとして皆さんの上達に少しでも力になれるよう、できる限りの事をしたいとおもいます。そのためにも自分自身が上達することに執着しなければとおもっております。(・・・ほんとのところはこのクラブの人たち上達が早いので、うかうかしてると置いてかれちゃいそうだしね)
 良い意味でクラブのかた全員がライバルではないかと思います。
がんばりますのでみなさま宜しくお願いいたします。



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